odoru.org

2000/10の湾岸署

[2000年10月31日(火)]

「あぁ、なんで俺まで怒られなきゃいけないんだ」
青島のタバコの煙まで怒っている。
「仕方ないでしょ。新城さん大荒れですよ」
隣は真下である。
「えーっと・・」
手帳を開いて確認する真下。
「26日に青梅交差点付近で傷害です。ストッキングもしっかり奪ってってます。昨日は未遂ですね。海浜公園です」
「うちの署のお膝元じゃないか、立て続けに」
「なんすか、お膝元って、まぁ近くですけどね」
「新城さん面目丸つぶれなのか。だからって俺怒られるのは筋違いだよな。思い切り外されてるんだからさぁ」
少し寂しそうな青島。
「まだ誰も殺されてないからいいですけどね」
「おい、縁起でもないこと言うな」
その横を小学生の集団が駆け抜けていく。ランドセルに笛が刺さっている。
それと入れ違いに中学生らしい二三人とすれ違った。
青島は指をさして尋ねる。
「あの笛、流行ってんのか?」
その少年達のポケットからいつか見た笛が見える。
「あ、あれですか」
と真下は自分の鞄の中から何やら取り出した。
「お前も持ってんの?」
驚く青島に真下は
「いや、こないだケンカ止めに入った時に押収したんです。これ、笛じゃないですよ」
袋から出した棒状のモノの柄を回すとやや激しい金属音とともに伸びた。
「こん棒っていうんですかね。それでね、ここ押すと」
と手元のスイッチのようなものを押すと、鋭い音と共に先端に刃が生えた。
「こうなるんです」
その武器をマジマジと見つめる青島。
「でもこれね」
真下が刃を手のひらで押す。
「おもちゃなんですよ。鋭い刃じゃないんです。こうやって押すと引っ込むでしょ」
キュッキュッと音を立てている。
「でもこれをこうやってね」
と丁度張り出ていた木の枝に振り下ろすと、枝は綺麗に切れた。
「横に振ると立派な武器になるんです」
「お前、なんだか自慢気だねぇ。人から奪っただけなのに」
「人聞き悪いですねぇ。押収したんですってば」
「おんなじだよ。ちょっと見せてみろ」
手にとって二三度振ってみる。
「ふーん、凝ったおもちゃだねぇ。頑丈だし」
と、変なポーズまで付けて遊んでいるので、危うく真下は青島の次の台詞を聞き逃すところだった。
「俺も捜査に参加するわ。しんじょさんには内緒な」
真下は、イヤな顔をした。

[2000年10月26日(木)]

事故で渋滞している車を誘導していた夏美は甲高い笛の音を上げた。
「ここ代わるわ。篠原さん、休んでて」
と圭子に言われると、一緒に手渡された紅茶のプルトップを開けながらミニパトに寄りかかった。
「ぷはぁ」
と一息つくと、青島がトボトボ歩いているのに気が付いた。
「青島さーん」
と手を振ると、青島の方は初めて気付いたらしく顔を上げて軽く手を振り、近づいてきた。
「忙しそうだねぇ」
渋滞の車を見ながら青島。
「えぇ。もうちょっとしたら実検が終わるから、もう一踏ん張りです」
そう言いながらみんなでまとめて買っておいたコーヒーを差し出す夏美。
それを手で制しながら
「みんな忙しいんだぁ」
と目を伏せる青島。
それを覗き込みながら夏美。
「青島さんはお暇なんですか?」
「ん、まーね。今はこないだの模型屋強盗の時の証拠物件を模型屋さんに返してきたとこ」
「忙しいんじゃないですか」
ニッコリ笑う夏美。
「いや、今日は下手するとそれだけで仕事おしまいさ。ずっと書類書きだよ」
「それも刑事の大事なお仕事なんでしょ?」
「そうなんだけどさぁ・・」
そう二人が話す向こう側を何かを携えた長髪のサラリーマンが通り過ぎて行ったが、青島の視界には入っていなかった。

[2000年10月25日(水)]

近々開催されるバドミントン大会に向けて練習している応援団のホイッスルが遠くから聞こえる。
そのホイッスルの音も新城の声がうち消した。
「ということで、捜査員の配置など後ほど連絡するので各自待機していてくれ」
手元の書類をパタンと閉じる。
「本庁捜査員を残して、解散」
新城の太い声が会議室に響いた。
廊下に出た青島に、後ろから声をかけるすみれ。
「よかったわね」
「なにが?」
歩きながら振り返る青島。
「昨日ね、新城さん桑野さんには会わなかったんだってよ」
「へぇ、なんですみれさんが知ってんの?」
「夏美ちゃんに聞いたの。桑野さん、会えなくて残念がってたってさ」
「あの人、あらゆる人をいじめないと気が済まないのかねぇ」
露骨にイヤな顔をする青島。
二人とも階段を降りて、刑事課に入る。
「まぁいろいろ言っても新城さん事件解決早いから、今回もすぐ終わるんじゃない?」
「あら。青島くんが新城さんを立てるなんて珍しいわね」
「別に立ててるわけじゃないけど・・、事実いつもそうだろ?」
「まぁね」
二人同時に腰掛けた。
「とりあえず事件に関われるだけで嬉しいよ。運転手でも道案内でも、この際いいや」
「どうしたの?今日の青島くん少し変よ?」
「そうかな」
「そうよ」
「久々の大きい事件だから、燃えてるのさ」
「小さい事件でも燃えてるじゃないの。いつも。しかも不必要に」
「うるさいなぁ」
と笑うと、タバコに火を付けた。
−−青島は通常業務を続けるように−−との命令が下るのはそれから五分後である。

[2000年10月24日(火)]

鼻歌混じりに鞄に書類を詰め込んでいる和久。
「あれ?みんないるんすね」
帰ってきた青島がキョロキョロすると、刑事課にみんな揃っている。
「例の事件、どうなったんすか?解決?」
支度を終えた和久が顔を上げる。
「んなわけねーだろ?俺たちの仕事はもう終わりだ」
「どうして?」
魚住も渋い顔をして青島を見ていたので、青島もそこに視線をやったまま聞き返した。
「ついに登場だよ。おめーの天敵が」
「いつ来るんすか?」
これには魚住が答える。
「明日だって。今日は勝鬨に入ってるみたいだよ」
「そっか」
軽く頷く。
「桑野さんにいじめられて明日はちっちゃくなってるといいなぁ」
と椅子に腰掛けながら喜ぶ青島だったが、
「バーカ。そしたらその分全部おめーに降りかかるんじゃねーか」
と和久に言われて、うなだれるのだった。

[2000年10月21日(土)]

青島は口笛を吹きながら道路の端を歩いていたが、殺気を感じて振り返った。
「あ〜お〜し〜ま〜」
仁王立ちになって睨んでいるのは、桑野であった。
「こ、こんなところでお会いするなんて偶然ですねぇ」
と青島は頭を掻いたが
「うち署の管轄まで入ってきて、偶然もなにもない!」
と、より一段と睨まれた。
が、すぐに表情が和らいだ。
「どうせ、例の事件が気になってんでしょ」
「はぁ・・」
「図星ね。あなたは篠原さんに似てるから行動が読みやすいわ」
「はぁ・・」
「何。口笛吹いてた割には元気ないのねぇ」
「・・・」
青島はくるりと振り返り去ろうとしたが、
「うちでの動きがパタッと無くなっちゃったらしいから、きっとそっちに行ったわよ」
「!」
目が輝く青島。
「でも、言われた仕事はちゃんとしなさいよ」
首にかけた警笛をトントンと叩きながら桑野が言った。
「何でもお見通しなんすね」
タジタジの青島。
「だてにあなた達のこと見てきてないわよ」
桑野はニヤリと笑って見せた。

[2000年10月20日(金)]

青島が口笛を吹きながら道路の端を歩いていると、向こうからすみれと武が歩いてきた。
「あら青島くん、楽しそうねぇ」
すみれから声をかけた。
「楽しかないよ。今だって駅前のコンビニでケンカがあって、その帰りよ」
青島は不機嫌に返事した。
「ご苦労様です」
すみれの後ろで武が軽くお辞儀をしたが、青島は不機嫌なままである。
「みんなが例の事件の聞き込みしてるから何でもかんでも俺に回ってくるんだよ」
「いいじゃない。やりがいあって。聞き込みだって楽しかないわよ」
とすみれはうなずくように武と目を合わせた。
「俺の身体は一つしかないってみんな分かってないだろ」
「じゃあまたこの辺から切って貰えば?二つになるわよ」
とすみれは笑いながら青島の腰のあたりに手を当てた。
「まったくやってらんないよぉ」
うんざりする青島。
「その割には口笛なんか吹いて楽しそうでしたよ。端から見ると」
と武が言うが
「口笛くらいいいじゃないの」
と青島はまた口笛を吹こうとするが、背中にドンと通行人が当たる。
カランカランと音を立ててリコーダー袋のようなものが転がった。
「あ、すいません」
青島と通行人は同時に謝って、落としたリコーダー袋に手を伸ばす。
先に拾ったのは通行人だったので青島の手は空振りをした。
顔を上げると、落とし主は髪がボサボサのサラリーマン風の男だった。
男はもう一度
「すいません」
と謝ると、ずれた眼鏡を人差し指で上げた。
青島は慌てて
「大丈夫でした?笛」
と気遣う。
「ああ、はい、大丈夫です。すいません」
と三度男はいうと、そそくさと行ってしまった。
「今日は笛づいてるわね」
と笑うすみれ。
「音楽は心を和ますのだよ。彼もちょっとオタクっぽいけど、きっと心は温かなのさ」
とかしこまって言ったあと青島も笑って、つづけた。
「実はこのあと楽器屋さんなのだ。クラリネット盗られちゃったんだって」
「クラリネット壊れちゃったじゃないの?ドとレとミとファと・・・」
「何言ってんの」
とまた笑う青島。
「ホントに今日は笛づいてんですね」
と武が言うと一同また笑い、じゃあ、とそれぞれの方向に歩き出した。
すみれ達を振り返った青島は
「捜査しでなぁ・・・」
と誰かから習った言葉を、呟くのだった。

[2000年10月19日(木)]

「そういうことだ。宜しく頼むぞ」
と袴田が朝の挨拶を終えた頃、やっと青島がきた。
珍しくみんなかしこまっているので驚いてキョロキョロしている。
「あれ、どしたの?」
とすみれに囁くがすみれが口を開けかけるのを制して、袴田が返答した。
「青島くんは通常業務でいいぞ。君が絡むと不必要に自体が深刻になる。以上だ」
と最後は皆に向かって声をかけ、解散となった。
「なになに?」
再度青島が訊く。
「連続婦女傷害事件」
ようやくすみれが答えた。
「へぇ。そりゃ捕まえなきゃ」
「うん、変わった男らしいからいつ何するか分からないのよ」
「どんなの?」
「女の子押し倒して、ストッキングだけ盗っていくんだって」
「なんだそりゃ」
「盗るときにナイフで斬りつけるのよ。だから傷害」
「危ない奴だね」
とたばこをくわえるが、すみれにひょいと奪われる。
「元は勝鬨の管轄で起こってたらしいんだけど、こっちに流れてきたみたいよ」
「いよいよ俺らの出番ってわけか」
「違うわよ。私たちの出番なの」
「なんでさぁ」
もう一度たばこを出すが、今度はくわえる前に奪われる。
「課長に言われたでしょ。青島くんは通常業務よ。絡むといっつもロクなことないんだから」
「ちぇっ」
「女の敵はこらしめてやんなきゃ」
というと手にしていた二本のたばこを青島の口に突っ込むと、廊下に出る。
「そうそう」
思い出したように振り返るすみれ。
「解決に難航するようなら、新城さん出張ってくるらしいわよ」
と言い残し、どこかへ消えていった。
青島は苦い顔をしながら、片方のたばこに火を付けた。

[2000年10月18日(水)]

「懐かしいなぁ、ガンプラ」
青島である。
「僕も思いきりガンダム世代ですよ」
と真下。
「凄かったもんなぁ、近所のおもちゃ屋に並んでさぁ」
「そうそう。でも後の方だとジムとかボールしか残ってなかったりして」
二人の間から顔を出すすみれ。
「なになに、ガンダム?」
「すみれさんは女の子だから関係ないでしょ」
「何言ってんの。男の子と一緒にプラモデル作ったりしたわよ」
「へぇ、変わってんね」
「友達からもそう言われたわよ。いいじゃない」
ふくれるすみれ。
「と・・いうことは・・・」
三人それぞれ牽制する。
誰からともなく
「じゃーんけーん、ぽんっ」
全員パーを出した。
それを呆れて見ている和久にちょうど戻ってきた雪乃が尋ねる。
「なにやってるんですか?三人」
「模型屋に強盗が入ってよ、店内散らばってるんだってよ。現状をそのままにしとけって言ったら『商売の邪魔になるから持ってくならとっとと持ってけ』って店長に言われたらしいんだよ」
三人は
「あーいこーで」
と手を振り上げている。
「おい、いくぞ」
と和久が声をかけても、今度は全員グーだったらしく次の手を考えている。
「仕方ねぇ、雪乃さん行くか?」
「はいっ」
和久の後ろを続く雪乃が階段を降りかけた時、
「やったぁ!勝ったぞ!」
という青島の叫び声が遠くから聞こえた。

[2000年10月17日(火)]

東京テレポート駅前である。
「だいぶ寒くなりましたね」
と真下はポケットに手を突っ込んだ。
「そうだねぇ。秋って春より短い気がするよねぇ」
とは魚住。
空には速い流れの雲の間から星が覗いている。
ふと魚住が真下を見ると、真下はじっと正面を見ている。
その視線を追った先には電話ボックスがあった。
「あ・・」
魚住が言いかけると真下は
「なんか急に思い出しちゃいました。あはは」
と魚住に向き笑って見せた。
「でも僕は、あそこから今の僕が始まった気がしますよ」
腹の辺りをさすった。
「僕たちは大騒ぎだったなぁ。正直言うとアッという間で、あまり覚えてないんだよね」
「ありがとうございました」
「いやいや、それが僕らの仕事だしね」
「今度魚住さんが撃たれた時にはお返ししますから」
「おいおい」
と笑いながら階段をのぼろうとすると、上から青島とすみれが降りてきた。
「お帰りっすか。お疲れさまです」
声をかけたのは青島が先だった。
「あ、今帰ってきたの?」
と魚住。
「えぇ。すみれさんが暴れ出して大変だったんすよ」
と笑うと
「お腹空いたって言っただけでしょ」
とふくれるすみれ。
「早く署に帰るといいですよ。雪乃さんがケーキ貰ってきたらしくてあっついコーヒー入れてくれてますよ」
と真下。
途端に
「お疲れさま。ほら、急がなきゃ。」
とすみれは挨拶もそこそこに青島の腕を引っ張って行った。
「あっ、ちょ、ちょっと待ってよ」
という声が消えていく。
それを見送る真下。
「みんな相変わらずですよね」
と微笑むが
「なにおセンチになってんの。僕なんてほら、白髪が出てくるようになったよ。みんなちょっとずつ変わってくんだよ」
と魚住は自分の髪をつんつんと引っ張って見せた。
「そうですね」
と二人は階段をのぼりかけたが魚住の
「で、真下君はいつになったら本店に帰るの?」
という言葉で、しばし固まる真下であった。

[2000年10月15日(日)]

「もう!全然ダメじゃない!」
ノートを振り上げたすみれが怒っている。
「いってぇ!」
と後頭部を押さえているのは青島である。
「これ、どう説明する気よ」
とすみれは青島の机の灰皿を指さした。例によって山盛りになっている。山が崩れて二三本転がって机を汚した。
「ちゃんと減らしたよぉ」
と言いながら青島は転がった吸い殻を拾い、灰を手で払った。
「一日二箱だったのが一箱になったんだからさ」
と自分の手を払いながら顔を上げる。
すみれは仁王立ちで
「あのね、青島くんが一箱吸うとそばにいる私は副流煙で二本吸ってることになるのよ。分かってる?」
と見下ろす。
「あ、そ。じゃ」
と青島は手を出した。
「なによ、それ」
「30円ちょうだい。二本分」
青島の頭に再びノートが振り下ろされるのはそれから0.5秒後であった。

[2000年10月14日(土)]

「何暴れてんだ、あいつ」
と和久が指さした。
「いつものことでしょ」
とすみれが言い、二人同時にコーヒーをすすった。
「あぁぁ!」
と頭を抱えて叫んでいるのは青島。
和久はその青島に声をかけた。
「おう、どうした」
顔を上げる青島。
「ちょっと聞いて下さいよ。俺の友達区役所なんすけど、今日休みらしいんすよ」
「当たり前だろ。区役所なら」
「俺達だって同じ公務員じゃないすか」
「刑事が土日休んでどうするよ」
「あいつらも街の平和を守れってんだ」
「なにわけわかんねーこと言ってんだよ、それも今さら」
「今さらだから今までの分取り返そうと思って叫んでんじゃないすか」
「おめー自分の言ってること分かってんのか」
呆れる和久。
「いいなぁ、区役所」
「ふん、そんなこと言っておめー刑事が天職だと思ってんだろうによ」
「あ、ばれました?」
ニッコリ笑う青島。
「つーかよ、おめー今日非番だろ。帰れよ」
「冷たいなぁ」
「非番にわざわざ叫びにくるやつに温かくなんかしねーよ。どうせなら区役所行って暴れてこいよ」
「そんなことしたら新聞に載っちゃうじゃないすか」
「思う存分暴れてこい、俺がしっかり手錠かけてやっから」
そのやりとりを聞いていた刑事課の一堂は顔を崩した。
珍しく平和な今日の湾岸署に、笑い声がこだまするのだった。

[2000年10月13日(金)]

「守ろうよ・・・かぁ」
「青島くんはこの街、好き?」
「うん、嫌いじゃないね。好きだよ」
「そっか」
「すみれさんは?」
「最初は好きじゃなかったけど・・、今は好き」
「それはよかった」
「それにしてもでっかいハートね」
「まぁイラストだからねぇ」
「それを言われりゃそうなんだけどさ。青島くんてつまんないね」
「なんでこんな絵でつまんないとか言われなきゃ・・・、ちょ、ちょっと待ってよ」
二人が立ち去った柱には、全国地域安全運動のポスターが貼られていた。

[2000年10月10日(火)]

「はい、ではお名前お願いします」
取調室の青島。
「前にも言ったでしょ」
派手目の女はタバコをふかしながら怒っている。
「だいぶ前だしあの時は調書も取ってないっすから忘れちゃいました」
飄々としている青島に女はタバコを指で叩きため息混じりに答えた。
「武下純子。武士の武。純粋の純よ」
「純粋・・ねぇ」
「そうよ、何か文句あんの?」
「いえ、べつに」
と書類にペンを走らせて、では次の質問です、と続けた。
少し開いたドアの隙間から和久とすみれが覗いている。
後ろからコーヒー片手に近づいたのは魚住。
「お、懐かしいですなぁ。いつかの愛人ですね」
和久とすみれは今まで落としていた腰を上げて答えた。
「今度は愛人の奥さんが殴り込んできたんだってよ」
「そこに男、つまり旦那よね、が止めに入ったら奥さん間違って旦那刺しちゃったんだって」
「ということはまたとばっちりですか」
コーヒーをすすりながらの魚住。
「そうゆうことね。まぁ旦那はお尻のほっぺたに切り傷くらいだから大したことないんだけど、一応傷害だから」
とすみれ。
「しかし彼女、よくここまで来ましたねぇ」
と感心する魚住に
「いや、最初はやっぱりごねてたんだけどよ。青島が行ったら急に大人しくなってな」
「一応あれでも何か感じてたわけね、あの時」
と二人。
再びドアの隙間から中を見た。
「・・・で、旦那さんがケガしたわけですね」
と青島。
「そうよ、私は関係ないの」
「そうですけど、一応現場見てたわけですから・・」
「だから来てあげたんでしょ。文句あんの」
純子は二本目のタバコをくわえている。
「いえ、ありがとうございます」
と言いながら青島もタバコに火を付けた。
「しかし・・・」
と煙を吹く青島。
「トラブル多いっすねぇ」
「私のせいじゃないわよ。男が悪いのよ」
「別にあなたのせいだなんて言いませんけど、そういう男を毎回選ぶんだから男見る目がないんじゃないすか?」
「うるさいわねぇ。あなたに関係ないでしょ」
「そうですけど」
とまた煙を吐く青島。
それを見て軽くため息をついた純子は小さく
「見る目があるなら最初から愛人なんてやってないわよ」
と言うとタバコをもみ消した。
「もう終わりでしょ。帰るわよ」
「あ、はい。どうもありがとうございます」
と書類の片づけをしている青島を置いて取調室を出た純子は、
「だから警察って嫌いよ」
とまたいつものように、呟いた。

[2000年10月09日(月)]

「青島くんは大丈夫?」
「は?なにが?」
仕事帰りのすみれと青島である。
二人の横を初老の薄髪の男性が過ぎていく。その頭をすみれは見つめていた。
その視線の先を青島も見つけてようやく質問の意味を理解した。
「俺は大丈夫でしょ。ほら、こんなだし」
自分のおでこを見せる。
「昔より薄くなってきた気がするけど・・・」
とすみれ。
「えっうそっ」
慌てながら髪の毛をつまんで確認する青島。
「うそよ。青島くんくらい剛毛なら大丈夫だわ」
「もう勘弁してよぉ」
ほっとして髪型を直す青島。
「俺くらいの歳になったら髪の毛って心配事の筆頭なんだからね」
「あ、そうなの?ごめんごめん」
「冗談でもそういうこと言われると気にするだろ?気にすると抜けはじめる。そこから先は早いよぉ」
「男って大変ねぇ」
「そうさ大変なのよ」
「そういえば青島くんっていろいろあるのに白髪ないわね。苦労してないのね」
「確かに白髪はないけどね。苦労はしてるよ、これでも」
「どんな苦労?」
「じゃじゃ馬の話し相手になってあげたりさ」
「それはそれはご苦労様」
「いえいえどうしたしまして」
夕方まで降っていた雨はしばらく前に止んでいたが、地面にはまだ水たまりの残る夜の道であった。

[2000年10月08日(日)]

青島は袖をめくって時計を見ると、ふぅと軽く息を吐いた。
刑事課だけでなく、署内の全ての人員が集まっている玄関前。
青島も含めてみな制服を着ている。
「そろそろいらっしゃるぞ」
と外から飛び込んでくる袴田。
それを合図に皆一列に並んだ。
玄関先に車が止まり、ドアが開く音が響く。
中から出てきた人物が玄関を入ってきたのを確認すると、一同敬礼をして迎えた。
迎えられた方も足先を揃えて敬礼をした。
列の先頭の神田が挨拶をする。
「お待ちしておりました。副総監」
吉田副総監は敬礼していた手を下ろすとニッコリ笑って言う。
「今日は日常の業務の視察に来たんだ。こう改まれては困るなぁ」
すると神田は慌てて振り返り、
「はいみんな、通常業務に戻って」
と両手の甲を押し出しながら叫んだ。
列は崩れて階段に流れて上がっていく。
「なんだよ、ったく」
青島も襟元を軽く緩めながら戻ろうとしたが
「青島くん、ちょっと」
と秋山に後ろか声をかけられ振り返った。
そこには吉田が立っていた。
「君が青島刑事か」
「はい」
吉田はややにこやかな表情をしている。
「室井くんから話は聞いているよ。いつもヨレヨレのコートを着ているらしいが今日は違うのだね」
と言われ、はぁとしか答えられない青島。
「ところで、和久指導員はどうした」
「さぁ。恥ずかしいから捜査に行くって出てっちゃいましたけど、別に捜査することもないっすしねぇ」
と青島は頭を掻く。
「そうか、相変わらずだなぁ」
吉田は目尻に皺を寄せて笑って続けた。
「元気そうでなによりだ。また酒でも飲もうと伝えておいてくれないか」
「はいっ!」
青島は嬉しそうに敬礼をして答えた。
吉田も敬礼を返しながら、同じように笑って見せるのだった。

[2000年10月05日(木)]

「マッチ・・マッチ・・・」
机の引き出しを開けたり下を覗きこんだりしているのは青島である。
「あ、あった」
パソコンのモニターの下に潜り込んでいるのを見つけて嬉しそうな顔をした。
早速火を付け煙を吐くと、すみれが話しかける。
「ね、青島くん」
「ん?」
答える口からまた煙が吐かれる。
「禁煙、しないの?」
とすみれはその煙をパタパタと払いのけながら訊いた。
「うーん、しないね」
「なんで?和久さんも真下くんも魚住さんも吸わないじゃない」
「他人がどうだなんて関係ないよ」
「そりゃそうだけど。青島くんが吸わなきゃ私の周りもクリーンな空気なのに」
そう言われて向こうに声をかける青島。
「中西係長。すみれさん、席替え希望だそうですよ」
書類を書いていた中西は顔も上げずに、あっそう、と答えた。
「何が何でもやめない気ね」
むくれるすみれ。
「だってさぁ」
また煙を吐く。
「こりゃ俺の気を鎮めてるのよ」
「ふーん」
「何だよその目。ほら、俺がこれ以上暴れたら大変だろ?」
「へぇ、自分が暴れてるって認識はあるんだぁ」
「だからさ、タバコはやめられないのさ」
「何よ、意志が弱いだけじゃない」
「うるさいなぁ。キスするわけじゃないんだからいいじゃない」
「キスなんかしなくても煙たいのよ。青島くん本数多いんだもん」
灰皿の吸い殻も既に山盛りである。
「あ、ごめんごめん」
ようやくタバコをもみ消した。山が崩れる。
「じゃあさ、俺とすみれさんの間に扇風機でも置いてさ、こうパアッと飛ばしちゃお・・」
変な手振りで説明する青島を放って椅子を戻したすみれは軽くため息を付くと
「自分がどうにかしようって気はないの?」
と後ろに怒鳴り仕事に戻った。
すると
「ごめん。本数減らすよ」
と聞こえてきて、すみれはペンを止めて、優しく微笑むのだった。

[2000年10月04日(水)]

「青島くん」
「青島くん」
「青島ぁ」
「青島くん」
「せんぱーい」
ほぼ同時に声が上がり目を丸くしてキョロキョロ見渡す青島。
とりあえず声が上がった順に聞くことにしたらしい。
「なんすか?」
まずは袴田である。
「こないだの報告書、誤字だらけで戻ってきたぞ。ついでに斜め字だから見づらいって警務が文句言ってたぞ」
「あ、はいはい。で、なんすか?」
もう顔は魚住に向いている。袴田はその青島を睨んでなにやらブツブツながら席に座った。魚住が話し出した。
「昨日の傷害の報告書まだかなぁ。急かされてるんだけど」
「それならこれから書きます。で、なんすか?」
次は和久である。
「お前携帯の電源入れとけよ。通じなかったぞ」
「調子悪くて壊れてんすよ。で、なに?」
すぐ横のすみれに訊いた。
「青島くんまた私のキムチラーメン食べたでしょっ」
「いや、知らないよ。貰ったのはわさびラーメンだよ。で、お前はなに?」
最後は真下。
「せんぱい、人気者ですねぇ」
「うるさいよ。用事はなんだよ」
「いや、それだけです」
「なんだよ、まったく」
ようやく青島は椅子に腰掛けてタバコに火を付けた。
「いてっ」
頭を叩いたのはすみれである。
「私は誤魔化されないわよ」
と右手を出した。
「なにこれ」
「200円ね」
すみれはニッコリ笑って見せた。

[2000年10月03日(火)]

聴取を終えて外に出ると雨が降っていた。
「ありゃ、結構降ってるねぇ」
と青島は手をかざして言った。
「僕は傘持ってるから大丈夫です」
真下は自慢気に鞄から折り畳み傘を出した。
「おっ、さすがぁ」
と青島が傘に入ろうとすると、真下はそれを避けた。
「なんだよ」
「先輩入れると僕が濡れるからいやですよ」
「先輩に向かってお前なぁ・・」
「僕は上司です」
「上司なら可愛い部下のために傘を差し出せよ」
「そんな横暴な部下のために自分が濡れるなんてイヤです」
「お前そんなんじゃ出世できないぞ」
「それに先輩は傘に入ってるよりびしょぬれになってる方が似合いますよ」
そう言うと真下は走り出した。
「お前わけわかんないイメージ押しつけんな」
そういうと青島も水たまりの道路へ走り出るのだった。
雨は幾分か弱くなり、西の空は明るくなっていた。

[2000年10月02日(月)]

「暑いよね」
スーツの襟を持って見せながら青島が言った。
「もう衣替えしたんですね。僕はまだ夏のままです」
真下は涼しげである。
刑事課は朝礼らしきことをやっている。珍しく秋山が喋っている。
「というわけだから、国勢調査員だということが分かったら分かる限り各家の在宅状況など教えてあげるように」
青島は手を挙げて勝手に尋ねた。
「それってプライバシー侵害じゃないんですか」
「命令だ」
秋山が憮然と応えた。
「どこからの命令ですか」
「聞いてなかったのかね。上からだよ」
呆れ顔の秋山に代わって袴田が応えた。
「納得いかねぇな・・」
とつぶやくとすみれが小声でつついてくる。
「どうせ青島くん、住人の在宅状況なんて知らないでしょ」
「そりゃパトロールとかするわけじゃないしねぇ」
「ほら、じゃあ関係ないじゃない」
「そういう問題じゃないだろ」
声を荒げる青島。
「うるさい、青島」
袴田に注意され、口を尖らせながら小さくなる青島。
やがて朝礼は終わり解散する。
和久は
「ここでどなっても何も変わらねぇんだよ」
と、複雑な顔をしながら、青島の肩を叩いたのだった。

[2000年10月01日(日)]

今日の立ち番は緒方である。
「お疲れさまです」
敬礼で挨拶する。
「疲れるほど働くな」
と返したのは勿論和久である。その和久は青島と何やら話しながら入っていった。
それと入れ替わりに出てきたのは森下である。
「さ、時間だ。替わろうか」
緒方は杖のように持っていた長い警棒を森下に手渡しながら訊いた。
「和久さんって『お疲れさまです』って言われるのイヤなのかな」
「あぁ、いつも『疲れるほど働いてねーよ』とか言うよね」
「その割に怒ってないだろ?」
「別に怒ってはないよ。和久さん自身が疲れるほど働くのがイヤなだけじゃないの?」
「あ、そっか」
と帽子をとり頭をポリポリ掻きながら納得する緒方。
「でもその割には『ご苦労様の毎日』らしいねぇ」
「そうだな。いつも腰のところトントンやってるしな」
「青島さんを指導するので毎日大変なんじゃないの?」
と二人とも笑った。
そこへ階段から怒鳴り声。
二階から顔だけ出している和久。
「こらっ、おめーら俺の陰口叩いてたろ!」
和久と入れ替わりに出てきた顔は青島。
「俺の悪口もいってただろ」
とひと睨みして、消えていった。
その間硬直したまま顔をブルブル振っていた二人だったが、二階の顔が消えたのを確認したあと目を見合わせて、苦笑するのだった。

Copyright © 1999-2004 かず, All Rights Reserved.